〜荒川中流域・武蔵武士の活躍・森林公園探訪セミナー〜
当日の模様−後編−
「全国に散った武蔵武士の足跡が武蔵野にはまだまだ埋もれている・・・」−−成迫さん
武蔵武士の史跡めぐりを案内してくださったのは、『郷土の英雄 武蔵武士』の著者、成迫政則さんと、荒川流域ネットワークの山本正史さんです。成迫さんは、鎌倉幕府成立に大きく関わった武蔵武士たちの足跡を求めて全国各地を訪ねていらっしゃいます。
武蔵武士とは、武蔵国の開拓者たちが自分の土地を守るために連合して武士団を結成していったのが始まり。武蔵武士が歴史上で活躍しはじめたのは、奈良・平安時代からです。武蔵武士は鎌倉幕府の開府以降、全国各地に所領を与えられ、散っていきます。その足跡は今でも地名や寺院はもちろん、その地域に多くいる苗字などに残っているそうです。
途中、道の駅で休憩をはさみながら、熊谷市久下の久松寺東竹院、岡部町普済寺、深谷市の清心寺の3ヶ所の事跡を巡りました。
久下氏や武蔵七党の岡部六弥太忠澄の墓所や縁の地を巡る際に面白かったのは、普段ならあまり気にしないような住宅地の中にあるお寺や畑の中に史跡があったこと。そんな何気ない場所でも成迫さんに解説していただくと、まるで推理小説のように歴史的事件や史実が解きほぐされ武蔵武士の足跡の一端が明らかにされていく、非常に面白いひとときでした。
実は当日は午後から雨という予報でしたが、帰京するまで曇り空のまま。
バスで移動中は、成迫さん、山本さん、そして自然環境委員の皆さんから通過する地域の武蔵武士や自然環境のお話などを贅沢なバスガイド付きで退屈しませんでした。 |
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その7 久松寺東竹院 |
その8 久松寺で記念撮影 |
その9 畑の中に・・・ |
その7 久松寺東竹院
久下氏の墓。墓石の左で解説していらっしゃるのが成迫さん。
その8 久松寺で記念撮影
参加者の皆さんで記念撮影。
その9 畑の中に・・・
ブロッコリーとキャベツ畑の中に岡部六弥太忠澄の墓はありました。
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その10 岡部六弥太忠澄の墓 |
その11 普済寺 |
その12 樹齢800年 |
その10 岡部六弥太忠澄の墓
成迫さんが初めて訪れたときには屋根はなかったそうです。6基の墓石が並んでいます。
その11 普済寺
岡部氏にゆかりのあるこのお寺には、家紋の跳ね十が大きくついていました。
その12 樹齢800年
普済寺境内には、樹齢800年のカヤの木が。ちょうど鎌倉幕府成立期ですね。
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